Museumsnacht Köln2023 in Kunstwerk butohdance performance

ケルン市ミュージアムナイト2023度 クンストヴェークにて舞踏ダンスパフォーマンス出演。 このイベントはケルン市内の美術館や、博物館が夜7時ごろから一斉開館されて一つのチケットでどこでも入場できるというイベントです。 こ … 続きを読む

瞑想ベリーダンスは鎌倉時代からあった!?

今日は私の瞑想ベリーダンスの理念、論理、がなんと鎌倉時代~くらいから活躍した浄土教、時宗の開祖一遍、一遍上人の踊念仏がまったく同じでびっくりしたお話です。
一遍、彼の詳しい事は今日は理念のお話にフォーカスしたいので彼の簡単な自己紹介はこちらのリンクでチェックしてね。→一遍
彼の踊念仏という哲学が私の成し遂げたい踊りの理念と合っていてとても感動しました。で、早速何が?という事で、ある本に出合ったのがキッカケでした。その本から引用します。

延暦寺東塔桜本の兵部堅者重豪が「踊りて念仏申さるゝ事けしからず」と、一遍を訪ねて難結したとき、一遍は「はねばはねよをどらばをどれはるこまの のりのみちをばしる人ぞしる」、跳ねたければ春駒が跳ね踊るように跳ねればよいし、踊りたければ踊って念仏すればよい、そうすれば春駒にのることはできなくても、仏の教えを会得することはできるでしょう、といったところ、重豪は「心こまのりしづめたるものならばさのみはかくやをどりはぬべき」、たけたつ心の駒をのりしづめるのが法の道である。欲望のままに動きやすい心を静かにおさえるのが道なのに、どうしてそんなに踊りはねる必要があるのでしょうか、といったが、それに対して一遍は「ともはねよかくてもをどれこゝろごま みだのみのりときくぞうれしき」、ともかく踊りはねたいという心の駒は思うざま跳ねおどらせばよいのだ。そこから得られる歓喜こそが阿弥陀仏の御法の声だと思えば嬉しいことなのだ、と答えている。

この二人のやり取りに対して

ここには身心を「静」の状態において仏を見ようとする重豪の立場と、身心を「動」にたかめることによって仏と一体化をはかろうとする一遍の立場の相違を知ることが出来る
と著者は書いている。

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ベリーダンス 音楽と体の関係について

ベリーダンスの練習やパフォーマンスでも大事なのは音楽ですね。 私はインド舞踊っぽいのからドラムソロ、アラビック、そしてトランスでも・・・結構色々な音楽で練習します。特に練習は体のパーツ訓練の為にドラムの音で練習します。 … 続きを読む

ベリーダンスと私2

そしてベリーダンスをしていってもう一つ気づいたのは ダンスで綺麗になれる事。 というのはまずはベリーダンスは女らしさの表現での踊でもありますので 優雅さと艶やかさが身につきます。 (実際に観客からどう見えてるかは別として … 続きを読む